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お互いに「慣れる」

先週のことになりますが
農業体験でお世話になったTさん(男性20代)と、
うちの次男&お友達(高等部3年)3人でカラオケへと出かけました。

私が用意したのは
一日の予定メモとカラオケの約束
お昼ごはんの相談メモ
帰りのバス時刻表

Tさんはヘルパー資格はあるけれど
知的な障害や自閉系には「自分はまだよくわからないので」と
おっしゃっていました。


でも農業体験で何度か一緒に過ごし
夏のキャンプも一緒に過ごし
自分から「子どもたちと一緒にでかけたい」と言ってくれるまでになりました。
今回のカラオケも「ヘルパー」という仕事じゃなく
一緒に遊びに行く友達としての一日でした。

子どもたち側も「Tさんならお母さん来なくても大丈夫」ってくらい
安心してきたのかもしれないし
自分たちなりの自信もついているのだと思います。

無事3人でカラオケ、お昼と過ごしバスに乗って帰ってきました。
本人も満足、そしてTさんも「とても楽しかったです」とメールをくれました。


要するに、必要なのはお互いに「慣れる」ということなんだなぁ~
接する側も慣れる、そして子どもたち側も慣れる。
お互いが「なんとなく大丈夫かも」と思える点がどこかにでてくるということですね。

なんとなく大丈夫かも。という気持ちが
お互いの世界を広げるのかもしれません。








児童センターでも話した時も
所長さんの言葉に「私はこちら側」と感じました。

世間から見たらうちの子も、立派な「障害者」なわけです。

要するに
「障害者に慣れている人」と「慣れていない人」

私たちは、もうすっかり「慣れている人」側にいるということ。

でも、考えてみたら私の何が変わったわけではないのです。
何か勉強したり、専門家になったわけでもなく
もちろんある日突然「障害福祉」に携わる人。になったわけでもなく。

17年という時間をかけて「慣れた」だけです。

要するに「慣れれば」誰だって、障害のある人の相手なんかできるということで。
自分自身の体験から実感いたしました^^;

児童センターの方にも、子どもたちにも
障害のある子が来た時、「特別」な存在じゃなくて、
なんとなく「慣れて」もらえるようなお手伝いができたらと思いました。
by kokoroyasashikune | 2011-01-10 10:05 | 次男のこと
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